関東鹿児島県人会連合会大会にて

去る2月3日(日曜日)、目黒雅叙園にて「関東鹿児島県人会連合会大会」が開催されました。
当法人から、ご出席の皆様方に、東北大震災被災地区の復興支援事業の一環として、七ヶ浜より購入した焼き海苔を提供させていただきました。

東日本大震災、その復興を願って!

大震災、大津波、原子力発電所事故さらには追い討ちをかける様に襲って来た集中豪雨と台風、何故東北の人達ばかりが・・・?と心を痛めた事が昨日の様に脳裡をよぎるあの大津波と云う黒い魔物に幾多の人が尊い生命を奪われた事でしょう。

忘れられないのは、ある紙面に寄せられた門脇優衣さん十六才の「顔知らぬ、名前も知らぬ人達に生きてて欲しいと願った三月」に誰しも胸を締めつけられる思いをし乍ら頷いた事であろう。
でも津波に浚われた多くの人々は帰って来なかった、生死の別れ・・・。
その時、宮城県七ヶ浜のあるお母様は旅行から帰って着替えもせずソファーに横になって居た。大きな地震とは思ったが、いつもの事だし津波は来ないだろうと思っていた。そこに隣の嫁さんが一緒に逃げようと誘って来たその五分後、あの魔物の様な忌わしい津波は襲って来た。後には人も街も、そして二年前にやっと造った我が家も跡形も無く流されていた。

ある娘さんは、地震と聞いて職場の友人達と隣のスーパーに逃げ込んだ。四階から眼下を見ると家も車も浮いている。近くにある駐車場の二階屋上に逃げ込んだ多くの人達が一瞬の中に黒い魔物に飲み込まれた。波が引いた後には人も車も何も残っていなかった。生き残った人達は、生涯この苦しみを悲しみを背負って生きて行かねばなりません。

何と切なく辛い日々だろうか。それにしても人の世の儚を思わずにはいられません。
長女を亡くした小林一茶は「露の世は露の世ながら さりながら」と如何ともし難い死別の苦しみを歌に詠んだ。又移ろい易い人の世を「如(にょ)露(ろ)亦(やく)如電応作如(にょでんおうさにょ)是(ぜ)観(かん)」と断じた良寛は「地震に遭う時は遭うが良かろう死ぬる時は死ぬるがよろしかろう」と、人の世の無常を知れとばかりに突き離す。
それにしても春が来れば花は咲き、夏が来れば元気を出せよと蝉は騷しい。では私達は何をして差し上げれば良いだろうか?
東北に生まれた宮沢賢治は、その詩「雨ニモマケズ」で「東に病気の子供あれば、行って看病してやり西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負ひ・・・」とある。大切な事はこの「行って」が素晴しい。人間は口だけでなく行動する事が大切である。たとえ「行く事」をせずとも仏教の教えには「布施」と云う言葉がある金でも物でも労力でも、あるいは優しい言葉を施す事も出来る。

人間として、この世に生を承けた私達は、東北の人々の終生癒すことの出来ない心の痛みに真摯に向き合い、この苦しみ悲しみを我が悲しみとして寄り添い支えあい、そして被災地の復旧復興に尽力する知恵を考え得ると信じて止まない。





掲載日:2013年2月7日(木)